とうとう
脳腫瘍摘出へ
※持病を晒すのは自分の記憶のためでもあり、持病を抱えて仕事を持つ身として同じ境遇の人と共感したいから。人に言えない気持ちを書き綴り、鬱々を消す。不安な気持ちを抱えたままだと悪い病気になってしまいそうなので、言葉では言えない心の隅にある悶々としたものを活字に出すことでポジティブに考えられるんじゃないかと思って書いています。
また、仕事をいただく上でこんな持病を持った私ですが『これからもよろしくお願いします。』
という意味も含めて私のすべてを知っていただきたく書かせていただいています。
この1年間、手術はしない!と決めて過ごしてきた。
「おでき(脳腫瘍)は小さいし、今のところ聴力低下も生活に支障がないし、他に不快な症状もないし・・・・このまま、このまま共存していこう。おできが有るからどうだっていうの?老化と共に身体機能の低下は当たり前。なにも、おできだけが悪さするわけでもないでしょう。頭を切って取るなんて、痛いし怖いしやめておこう。」っと。
定期的に診察を受け、医師にもそう伝えてきた。
7月7日、満員電車に揺られ御茶ノ水へ行く。
まずは
糖内分泌科で甲状腺ホルモンの診察。
TSH(指令塔)の数値は1.83(0.56~4.30)
FT3は2.1(2.4~4.5)
FT4は1.5(1.0~1.7)
ようやく落ち着いてきた。
チラージンの量は75㎍と100㎍を毎日交互に朝食前に飲んでいる。
この処方が安定したのだろうか?
だが血圧は相変わらず高い。
チラージンを飲み始めてから、ずっと高い。
高い時だけ飲むように処方された降圧剤(アムロジン)は使っていない。
春前に即、入院検査と言ってたのに未だに入院準備ができたという連絡が来ない。「重病だったら検査待ちで死んでしまうだろ~」っと冗談に思う。
【即入院】の捉えかたが変わってくるなぁ~と思いつつ。
また30分安静臥床後採血の検査となる。
これは血圧に影響を及ぼすホルモンを正確に測るための検査だ。
原発性アルドステロン症の疾患を疑っての検査らしい。
検査前の血圧は140-110
やはり心配な数値だ。
朝食を取らず、ベッドに30分間横になり
・おトイレにも行けず
・携帯をいじることもできず
じっとしていなければならない。
大概、眠りについてしまうのだが、30分間横になりその後そのままの状態で3~4本採血をする。
結果は?
なんで血圧が高いのかわからないようで…
治療方針もまだ定まらない。
次は脳外科
1月10日から7カ月ぶりにMRI検査を受けた。
院内検査なのですぐに結果が見られるのは良いね。
画像を見て説明を受け、少し大きくなっていて進行性であることを告げられた。
「家族同伴で来てください。」と
「良性なので心配ないですよ。
せっかく初期段階で発見できたのだから、手術も考えましょう。」
っと言われ
【手術はしない!】と決めていた心が揺らぐ。
そうだよな。
小さいおできだから、他の機能を脅かすことも無いだろうと高を括って来たけれど
少しづつ大きくなっていて、これからも大きくなるってことは・・・
実際、聴神経を押しつぶし始めてるし・・・
瞬時に頭の中で会議が行われる。
異物が大きくなるってことは、やはり現在必要な機能達の居場所を占領しはじめているのだから正常なものも壊しかねないよね。「まずい?!」って思ってきた。
更に
「せっかく初期段階で発見できたのだから。」という言葉に
ハッとさせられた。
今までいつも診察時に言われてたのは「ゆっくり考えて良いよ!」だった。その余裕を持たせてくれた言葉は【急な手術は必要では無い】という意味で、【何もしなくても良い】ということではないんだ。っと・・・・
ただ、まだまだ小さな腫瘍。
他の機能にすぐ影響があり、いますぐどうこうって急を要すものでもないらしい。まだ余裕はある。
とはいえ、いつ聴力が無くなってもおかしくはない。と言われる。
聴力は戻ることは無いそうだ。
そして、今後他の機能にも影響がある。
そうなってからでは遅い。
例えば私の年齢が人間の寿命の後半(日本人女性平均86.61歳)であれば痛い思いをさせてまで【摘出】という判断にはならないそうだ。
しかし、まだ人生は長い。
中年であり、高齢ではない。
脳腫瘍がわかった時
良性だろうから【死に至るものでは無い】とはいえ、「もしかしたら」と死を予感する気持ちにはなるもので
それなら、痛い思いは避けよう嫌だから手術はしない。いつ来るかわからない死を受け入れ腫瘍を持ったまま【太く短い人生を全うしてやれ!】って思ったのだ。
だけど、すぐ死なないから。
悪いものじゃないから。
ポジティブな考え方は変わらないけれど
まだまだ生きるんだったら、「腫瘍がどう他の機能に影響を及ぼすか?」という不安な爆弾は取り除いた方が良いだろう。と思い始めた。
外科的に頭の皮をはいで骨を切り開いて・・・と
想像するのも怖い手術はできればやりたくないけれど、【腫瘍が無くなる】それで整理がつくものならやって悪いことは無いかもしれない。と思いはじめたのだ。
実際、私の腫瘍は良性で医師も「おでき」と呼ぶし
死に至るような原因のものでは無いのだから・・・・
夫に経過を話すと
夫は前から『切ってしまえ!』派だったので問答無用。
この
精神的不安を聞き入れてもらえないのは少し残念だけど
逆に過剰に心配がられるのも面倒なので、
とにかく、手術を受けると決め同伴で病院へ行った。
手術の日が決まり。
入院は2週間くらいの予定。
様子見のため2週間自宅療養しよう。
1か月間は治療に専念だ。
心配なことはたくさんある。
正常な皮膚を切り、痛んでもいない骨を切り開くんだから。
それだけでも、痛そうだし怖い。
絶対無理だけど
自分の開頭手術を見たい。と思ったりもする。余裕だね。
自分の頭の中を見る機会なんてそうそうないからね。
考え方も見れるかもしれない・・・なんてね。
実際は気持ち悪くて、目をそらすだろうけど。
さて
どんな腫瘍が出てくるのだろう。
今年は学生以来初めての長期休暇(1か月)だぞ。
そして
8月11日手術前検査。
採血・心電図・レントゲン・CTスキャンを受けた。
この結果を基に担当医師達が会議で手術の進行を決めてくれるらしい。。。。
手術は
耳の後ろを裂き、人差し指と親指でOKマークを作ったくらいのマルの大きさに骨を切り取り
聴神経と三半規管神経の交差するあたりにできたおできを取り除く。
摘出したら切り取った骨でふたをして、小さな金属で繋ぎとめる。
という方法らしい。
術後2~3日は痛くて吐き気がして「手術しなければよかった」と後悔するくらいらしい。
・・・・・怖すぎる。。。
でも
10月から復帰できるように!
いや
絶対に復帰する。
そのつもりで
10月からの仕事も入れている。
医師から
今と同じ体調に戻ることは無い。と言われている。
いまが
とても
ものすごく
体調が良いから
それが
無くなってしまうのか?
不安は隠せない。【今の状態に戻れない??】それだけが怖い。
でも
今と同じくらいに戻れると信じて手術を受ける。
このまま、腫瘍を持ち続けたら小脳に影響が出てしまうから
そうならないうちに。
さぁ
決めたのだから元気に行ってきましょう。
脳腫瘍摘出へ
※持病を晒すのは自分の記憶のためでもあり、持病を抱えて仕事を持つ身として同じ境遇の人と共感したいから。人に言えない気持ちを書き綴り、鬱々を消す。不安な気持ちを抱えたままだと悪い病気になってしまいそうなので、言葉では言えない心の隅にある悶々としたものを活字に出すことでポジティブに考えられるんじゃないかと思って書いています。
また、仕事をいただく上でこんな持病を持った私ですが『これからもよろしくお願いします。』
という意味も含めて私のすべてを知っていただきたく書かせていただいています。
この1年間、手術はしない!と決めて過ごしてきた。
「おでき(脳腫瘍)は小さいし、今のところ聴力低下も生活に支障がないし、他に不快な症状もないし・・・・このまま、このまま共存していこう。おできが有るからどうだっていうの?老化と共に身体機能の低下は当たり前。なにも、おできだけが悪さするわけでもないでしょう。頭を切って取るなんて、痛いし怖いしやめておこう。」っと。
定期的に診察を受け、医師にもそう伝えてきた。
7月7日、満員電車に揺られ御茶ノ水へ行く。
まずは
糖内分泌科で甲状腺ホルモンの診察。
TSH(指令塔)の数値は1.83(0.56~4.30)
FT3は2.1(2.4~4.5)
FT4は1.5(1.0~1.7)
ようやく落ち着いてきた。
チラージンの量は75㎍と100㎍を毎日交互に朝食前に飲んでいる。
この処方が安定したのだろうか?
だが血圧は相変わらず高い。
チラージンを飲み始めてから、ずっと高い。
高い時だけ飲むように処方された降圧剤(アムロジン)は使っていない。
春前に即、入院検査と言ってたのに未だに入院準備ができたという連絡が来ない。「重病だったら検査待ちで死んでしまうだろ~」っと冗談に思う。
【即入院】の捉えかたが変わってくるなぁ~と思いつつ。
また30分安静臥床後採血の検査となる。
これは血圧に影響を及ぼすホルモンを正確に測るための検査だ。
原発性アルドステロン症の疾患を疑っての検査らしい。
検査前の血圧は140-110
やはり心配な数値だ。
朝食を取らず、ベッドに30分間横になり
・おトイレにも行けず
・携帯をいじることもできず
じっとしていなければならない。
大概、眠りについてしまうのだが、30分間横になりその後そのままの状態で3~4本採血をする。
結果は?
なんで血圧が高いのかわからないようで…
治療方針もまだ定まらない。
次は脳外科
1月10日から7カ月ぶりにMRI検査を受けた。
院内検査なのですぐに結果が見られるのは良いね。
画像を見て説明を受け、少し大きくなっていて進行性であることを告げられた。
「家族同伴で来てください。」と
「良性なので心配ないですよ。
せっかく初期段階で発見できたのだから、手術も考えましょう。」
っと言われ
【手術はしない!】と決めていた心が揺らぐ。
そうだよな。
小さいおできだから、他の機能を脅かすことも無いだろうと高を括って来たけれど
少しづつ大きくなっていて、これからも大きくなるってことは・・・
実際、聴神経を押しつぶし始めてるし・・・
瞬時に頭の中で会議が行われる。
異物が大きくなるってことは、やはり現在必要な機能達の居場所を占領しはじめているのだから正常なものも壊しかねないよね。「まずい?!」って思ってきた。
更に
「せっかく初期段階で発見できたのだから。」という言葉に
ハッとさせられた。
今までいつも診察時に言われてたのは「ゆっくり考えて良いよ!」だった。その余裕を持たせてくれた言葉は【急な手術は必要では無い】という意味で、【何もしなくても良い】ということではないんだ。っと・・・・
ただ、まだまだ小さな腫瘍。
他の機能にすぐ影響があり、いますぐどうこうって急を要すものでもないらしい。まだ余裕はある。
とはいえ、いつ聴力が無くなってもおかしくはない。と言われる。
聴力は戻ることは無いそうだ。
そして、今後他の機能にも影響がある。
そうなってからでは遅い。
例えば私の年齢が人間の寿命の後半(日本人女性平均86.61歳)であれば痛い思いをさせてまで【摘出】という判断にはならないそうだ。
しかし、まだ人生は長い。
中年であり、高齢ではない。
脳腫瘍がわかった時
良性だろうから【死に至るものでは無い】とはいえ、「もしかしたら」と死を予感する気持ちにはなるもので
それなら、痛い思いは避けよう嫌だから手術はしない。いつ来るかわからない死を受け入れ腫瘍を持ったまま【太く短い人生を全うしてやれ!】って思ったのだ。
だけど、すぐ死なないから。
悪いものじゃないから。
ポジティブな考え方は変わらないけれど
まだまだ生きるんだったら、「腫瘍がどう他の機能に影響を及ぼすか?」という不安な爆弾は取り除いた方が良いだろう。と思い始めた。
外科的に頭の皮をはいで骨を切り開いて・・・と
想像するのも怖い手術はできればやりたくないけれど、【腫瘍が無くなる】それで整理がつくものならやって悪いことは無いかもしれない。と思いはじめたのだ。
実際、私の腫瘍は良性で医師も「おでき」と呼ぶし
死に至るような原因のものでは無いのだから・・・・
夫に経過を話すと
夫は前から『切ってしまえ!』派だったので問答無用。
この
精神的不安を聞き入れてもらえないのは少し残念だけど
逆に過剰に心配がられるのも面倒なので、
とにかく、手術を受けると決め同伴で病院へ行った。
手術の日が決まり。
入院は2週間くらいの予定。
様子見のため2週間自宅療養しよう。
1か月間は治療に専念だ。
心配なことはたくさんある。
正常な皮膚を切り、痛んでもいない骨を切り開くんだから。
それだけでも、痛そうだし怖い。
絶対無理だけど
自分の開頭手術を見たい。と思ったりもする。余裕だね。
自分の頭の中を見る機会なんてそうそうないからね。
考え方も見れるかもしれない・・・なんてね。
実際は気持ち悪くて、目をそらすだろうけど。
さて
どんな腫瘍が出てくるのだろう。
今年は学生以来初めての長期休暇(1か月)だぞ。
そして
8月11日手術前検査。
採血・心電図・レントゲン・CTスキャンを受けた。
この結果を基に担当医師達が会議で手術の進行を決めてくれるらしい。。。。
手術は
耳の後ろを裂き、人差し指と親指でOKマークを作ったくらいのマルの大きさに骨を切り取り
聴神経と三半規管神経の交差するあたりにできたおできを取り除く。
摘出したら切り取った骨でふたをして、小さな金属で繋ぎとめる。
という方法らしい。
術後2~3日は痛くて吐き気がして「手術しなければよかった」と後悔するくらいらしい。
・・・・・怖すぎる。。。
でも
10月から復帰できるように!
いや
絶対に復帰する。
そのつもりで
10月からの仕事も入れている。
医師から
今と同じ体調に戻ることは無い。と言われている。
いまが
とても
ものすごく
体調が良いから
それが
無くなってしまうのか?
不安は隠せない。【今の状態に戻れない??】それだけが怖い。
でも
今と同じくらいに戻れると信じて手術を受ける。
このまま、腫瘍を持ち続けたら小脳に影響が出てしまうから
そうならないうちに。
さぁ
決めたのだから元気に行ってきましょう。
先日打合せをした
シンガーソングライターのアンナ朱美ちゃんがブログを書いてくれました。
アンナ朱美
アンナちゃんとの出会い・・・
6月の荒谷良一さんの写真展初日
私はその週末に行われるトークショーの手話通訳担当。初日はパーティーに参加するために夕方から会場入りしていました。
写真展にはたくさんの方が来ていて、パーティーが始まる頃にはどこに誰がいるのかわからないくらいの盛況ぶり。
その会場でパーティーが始まり、私はひたすらにっこり笑顔でビールを飲んでいたら、さりげなくキラキラっと光る、可憐な花のような女の子(失礼:私から見るとそういう感じだったの。)を見つけたんです。
パーティーでは「手話通訳の大瀧由美子さんです」っと紹介を受けましたので、スポットライトをいただきペコリと頭を下げました。
でも、
はっきり言って、会場は暗く周りの方々のお顔が見えないんですよね(笑)
ご挨拶後、たくさんの方々と名刺交換をしましたけどなかなか【手話】に興味を持ってくださる方と出会えなくて…少しさみしい~っと思っていたら
そこにカワイイ笑顔のアンナちゃんが目の前に現れたんです。
「少し手話をやっていて…」っとひなげしの花のような
女優さんでシンガーソングライターのアンナ朱美ちゃん。
歌の話しや手話の話・・・
初めて会ったとは思えないくらい、
意気投合して、おしゃべりを楽しみました。
私はインスピレーションを大事にするタイプ。
すぐに歌に手話を付ける話になりました。
それから2か月
ようやく打ち合わせをすることができました。
彼女の唄も聴きたいし、彼女のことをたくさん知らないとイメージは作れない。
打合せでは
生い立ちまではオーバーだけど
歩んできた道のりを話してくれました。
あ~そうなんだ。へ~そうなんだ。ほ~ほ~なるほど~っと。
人となりが伝わってきた。
ケーキまで作ってくれて、胃袋までがっちりつかまれた気がする。(笑)
はじめにいただいたCDの他に今回手話訳を付ける曲が入っているCDもいただきました。†★Thanks★†o(・"・。)β
思いが伝わる歌詞。
伝える・伝わる 一番大事にしていることなので
その歌を伝える手話を作りたくてコラボすることにしました。
これから何度も何度も聴いて、歌のイメージを体に入れて創作(手話訳)に入ります。
アンナ朱美&ゆみりんのコラボ
まだ先ですがご披露しますので楽しみにしていてください。
シンガーソングライターのアンナ朱美ちゃんがブログを書いてくれました。
アンナ朱美
アンナちゃんとの出会い・・・
6月の荒谷良一さんの写真展初日
私はその週末に行われるトークショーの手話通訳担当。初日はパーティーに参加するために夕方から会場入りしていました。
写真展にはたくさんの方が来ていて、パーティーが始まる頃にはどこに誰がいるのかわからないくらいの盛況ぶり。
その会場でパーティーが始まり、私はひたすらにっこり笑顔でビールを飲んでいたら、さりげなくキラキラっと光る、可憐な花のような女の子(失礼:私から見るとそういう感じだったの。)を見つけたんです。
パーティーでは「手話通訳の大瀧由美子さんです」っと紹介を受けましたので、スポットライトをいただきペコリと頭を下げました。
でも、
はっきり言って、会場は暗く周りの方々のお顔が見えないんですよね(笑)
ご挨拶後、たくさんの方々と名刺交換をしましたけどなかなか【手話】に興味を持ってくださる方と出会えなくて…少しさみしい~っと思っていたら
そこにカワイイ笑顔のアンナちゃんが目の前に現れたんです。
「少し手話をやっていて…」っとひなげしの花のような
女優さんでシンガーソングライターのアンナ朱美ちゃん。
歌の話しや手話の話・・・
初めて会ったとは思えないくらい、
意気投合して、おしゃべりを楽しみました。
私はインスピレーションを大事にするタイプ。
すぐに歌に手話を付ける話になりました。
それから2か月
ようやく打ち合わせをすることができました。
彼女の唄も聴きたいし、彼女のことをたくさん知らないとイメージは作れない。
打合せでは
生い立ちまではオーバーだけど
歩んできた道のりを話してくれました。
あ~そうなんだ。へ~そうなんだ。ほ~ほ~なるほど~っと。
人となりが伝わってきた。
ケーキまで作ってくれて、胃袋までがっちりつかまれた気がする。(笑)
はじめにいただいたCDの他に今回手話訳を付ける曲が入っているCDもいただきました。†★Thanks★†o(・"・。)β
思いが伝わる歌詞。
伝える・伝わる 一番大事にしていることなので
その歌を伝える手話を作りたくてコラボすることにしました。
これから何度も何度も聴いて、歌のイメージを体に入れて創作(手話訳)に入ります。
アンナ朱美&ゆみりんのコラボ
まだ先ですがご披露しますので楽しみにしていてください。